ドイツ語通訳・翻訳 TOMOKO OKAMOTO

あなたを変える7日間の哲学教室

訳者あとがき (あなたを変える7日間の哲学教室)

 本書は、ドイツ語書籍「Denken wie ein Philosoph: Eine Anleitung in sieben Tagen(直訳すると「哲学者のように考えるとは―7日間の哲学講座」)の邦訳である。原書は二〇一二年九月にドイツで出版され、難解と思われがちな哲学を平易な言葉で解説した哲学入門書として話題になった。著者であるゲルハルト・エルンストは、ドイツ分析哲学会の栄誉ある賞、ヴォルフガング・シュテークミュラー賞を2003年に受賞した42歳の有望な哲学者。哲学の意味を広い読者層に向けて説いたこの良書を今回訳す機会に恵まれたことを大変光栄に感じている。ここに、訳者としての考えをまとめたいと思う。

「Das ist kein Argument!(そんなのは根拠にならない!)」
ドイツに住んで十二年。ドイツ人からこう言われ、反論できないことが何度もあった。そのたびに、「根拠に基づいた知識を得ること」、つまり「知る」ということが、ドイツ人にとってどれほど大事なものであるかを思い知らされ、同時に、私自身の「知ろうとする」意欲が彼らほど多くないことを自覚せざるをえなかった。こう強く感じるのは日本人としての私に「哲学をする」習慣が身についていないからだ。そう気づいたのは、本書を訳し終えてからである。
「なぜ日本には自殺者が多いの?」
「周囲との調和を大事にするのが日本の文化だから、会社や学校といった公の場で、自分を押し殺し過ぎて鬱に陥ってしまう人が多いんだと思う」
「そんなのは自殺が多いことの根拠にならないよ! 文化だから仕方ないというのは、生きるのをあきらめているようにも聞こえるよ」
「……」(そんなこと私に言われても……)
 これは十年以上も前にあるドイツ人学生と交わした会話だが、今なら、なぜ彼が私に「生きるのをあきらめている」と言ったかが理解できる。この国では、「知ろうとしない」ことは人間として「生きていない」ことを意味するからだ。こういったドイツ人の考え方の中に、2000年以上も続く西洋哲学の知の伝統を見ることができるように思う。
 アリストテレスは「どんな人間も哲学をしなくてはならない。そうでないと「内在的な善(それ自体に価値があるいいもの)」と「手段的な善(価値ある目的を達成するための手段になるいいもの)」を区別して生きることができないからだ」と言ったそうだ(261ページ)。これは言い換えると、人間はどんなに多くの「いいもの」を得たとしても、その中の本当に価値あるものとは何かを知らなくては、「いい人生」を送ることはできない、ということだろう。
 本書によると、人間が「何か」を求めるのはその「何か」を「いいもの」とみなしているからだ、という(31ページ)。それなら、程度の差こそあれ、人間が何かを「知ろうとする」、つまり、「知識」を求めるのは、「知識」というものを「いいもの」とみなしているからだろう。「いいもの」には「内在的なよさ」と「手段的なよさ」がある。だからこそ、私達は自分が得た「知識」の「内在的なよさ」と「手段的なよさ」を区別し、本当に価値あるものとは何かを知らなくてはならないのだ。このことに多くの人が気づいていないために、現代の日本は深刻な問題を抱えているように思う。
 近代以降、日本人は西洋から科学的「知識」を吸収し、それを経済の発展に活用することばかりを考えてきたのではないだろうか。これは「知識」の「内在的なよさ」を無視し、「手段的なよさ」のみを利用することにほかならないだろう。もちろん、「知識」を「手段」として利用することは悪いことではない。悪いのは、それを(カントの言葉を用いるなら)「手段としてのみ利用する」ことなのだ。科学と経済の発展は「目的」ではなく、「手段」である。生きる「目的」をはき違えてはならない。本書も指摘するこの間違いに今どれほど多くの日本人が気づいているだろうか?
 進まない福島の原発事故処理、錯綜するエネルギー政策、不安定な日韓・日中関係、ブラック企業の蔓延……。目下、日本が抱える問題は生きる「手段」を「目的」と勘違いした結果生じたものであるように見える。
 東日本大震災の後、脱原発を決めたドイツが原発の再稼働を進める日本を冷めた目で見る理由も実はここにある。日本が景気回復を生きる「目的」と勘違いしているように、ドイツ人の目には映るからだ。「知識」を「手段としてのみ利用する」ことに対する嫌悪感をドイツ人は日本人よりも何倍も多くもっている。これはドイツという国に「哲学」が根づいている証拠だろう。
 私達は今、「知識」というものの本質を見直さなければならない時期に来ているのではないだろうか。人類の「知識」を本当に価値あるものとして利用するために、二十一世紀に生きる人間が最も学ばなくてはならないことは「哲学をする」ことだろう。本書は生きる「目的」を見失った現代人に新たな「認識」を与えてくれるに違いない。

 この場をおかりして、フリー編集者の望月索様、早川書房の三村純様、リベルの山本知子様、そして、私を励まし、支えてくれる家族と友人に心から感謝の気持ちを伝えたいと思います。

2014年1月
岡本朋子

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